obscurelife’s blog

色々なことを脱線しながら気のままに記していきたいと思います。

美術館〜美術館

最寄りが外房線土気駅になる「ホキ美術館」

写実絵画専門の美術館として保木将夫が収集したコレクションが展示されている。

保木将夫は東証1部上場の株式会社ホギメディカルの創設者。

1961年設立、1991年上場。

生前の話だが、発行済み株式約3,268万の15.66%を保木氏が保有

現在だが1株配当68円なので、配当だけで年間約3.5億。

今では一族に分散されている。

ちなみに美術館自体もホギメディカルの株を3.74%保有

約8,300万の年間配当収入。

それだけに素晴らしいコレクションばかり。

 

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五味文彦『銀器とガラス器』

島村信之『夢の箱』

森本草介『アリエー川の流れ』

原雅幸『薄氷の日』

三重野慶『言葉にする前のそのまま』

には特に目を惹かれた。

とにかく写真である。

しかしこれは100%の褒め言葉ではないのだろうなと思う。

素人からしたらいかに写真に近づけられるかという、写実の上位に写真があることを考えてしまうが、そうではないだろう。

写実には、写真にない魅力があるはず。

ただし、写真の登場の前後で考える必要はある。

 

写真登場前の写実の意義は、描いて残し後世に伝えること。

この意義は写真の登場によってそれに取って代わられた。

ただ、作品として考えると写真の意義ですらもっと考えられる。

写真は技術の進化も相まって、一般人が目で見る以上の情報を残す。

写実はそのものを見せているのではなく、それを描くことのできる画家の技術を見せる。

写真も写実も写す人描く人の切り取る力をはじめとしたテクニックをどこまで感じ取れるか。

そもそもが違うし、並べることの間違いに気付かされた。

 

これを書くまでは、“人”に焦点を当てた写実作品は、写真には勝てないというような見方をしてしまっていたが、そうではないということだ。

むしろそのギャップに画家の歴史や魂があり、そこに何かを見出せると面白いのだろう。

 

写実という意味では、当時の浮世絵も近いものがあるかもしれない。

と思っていると、千葉市美術館で「ジャポニズム 世界を魅了した浮世絵」という特別展をやっているとのこと。

車で約30分なので行ってみることに。

 

入館が18時を過ぎていたので休日ナイト割適用でお得。

この展示がどういうものか簡単に言うと、国内ではそこまで注目されていなかった浮世絵版画が世界に放たれることでジャポニズムとして注目され、それに影響を受けた外国の作品が多々あるよというもの。

 

現代の写実絵画は魅せたいところを自由自在に見せられる。

浮世絵にも少なからずそういう部分はあるだろう。

北斎の『神奈川県沖浪裏』も実際に富士山はこう見えない。でも波の激しさを表すのに富士山が必要なのであれば、波の写実の要素としての富士山は真である。

 

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他にも、高い視点から描いた俯瞰図、五雲亭貞秀の作品も圧巻だ。

 

北斎は19歳で絵師として活動をするも頭角を表したのは50代半ば。

絵手本として作成した『北斎漫画』で。

そして70歳を過ぎて挑戦したのが『富嶽三十六景』。

北斎は、70歳までに描いたものは取るに足らないと言っている。

 

しかし富嶽三十六景のヒット2年後の1833年歌川広重が『東海道五拾三次』を発表。

この時、30代後半。

旅行ブームも相まって北斎よりも広重の方が支持を集めていたそう。

 

この彼らよりも前に活躍したのが東洲斎写楽

写楽北斎と歳があまり変わらない。

なんなら同一人物説もあるほど。

謎多き写楽だが、ドイツ人の美術研究家ユリウス・クルトが見出し、それから日本国内で人気になっていったという説もあったり。

一応、喜多川歌麿の名前も出して、四大浮世絵師。

これに鈴木春信、鳥居清長を入れてい六大浮世絵師。

財閥にもこんな風にちょっとずつ増えては括られみたいな流れあったな。

あまり名前を聞かないが、渓斎英泉や魚屋北渓(トトヤホッケイ)の浮世絵も藍色や黒を基調にした落ち着いた色使いで良かった。

 

当時の写実、浮世絵。

特別展に飾られた作品からは色々なことを学べた。

 

・蛇は保守、七面鳥は革新の象徴

・北の吉原、南の品川

 品川には飯盛女といって吉原のようにお上に認められていない遊女がいた。

 女将に認められていないので正確には遊郭とは言えず遊里と呼ぶ。

 吉原の角海老、品川の相模屋。

 相模屋は倒幕派御用達で、桜田門外の変はここで企図されたとのこと。

 跡地にはNICハイム北品川というマンションが建っている。浪漫がある。

隅田川で吉原に向かうための「ちょき船」

・香りのいい梅は夜に愛でるのが風流

 

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・天谿:渓流、谷の意味。身体のツボの一つ。

 

以上。

ゴルフ〜温泉〜二郎

最高の流れ。

 

朝イチで東千葉カントリークラブ。

来場者層が高めで落ち着いた雰囲気。

OBのあるコースは2,3割。

グリーンは少し難し目だが、フェアウェイは広めなので比較的まわりやすいかと。

 

その後、九十九里「太陽の里」へ汗を流しに。

更衣室が広くありがたい。

週末だったが11:30ぐらいだったからか空いていた。

サウナは遠赤外線で熱くはないので、いわゆるサウナーには物足りないかも。

でもゆっくりできた。

 

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そして、腹ごしらえに千葉中央駅近くの「ブーブー太郎。」

店内で10人待ち。

小ラーメン。

回転早く、また座る前にコール確認、着席後に着丼。

全マシにアレ(この日は玉ねぎ)。

 

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野菜はちょいシャキ。

麺はやや太め。

豚は脂以外の部分はかため。

スープは甘め。

 

以上。

ラーメン宮郎@蒲田

11:30頃、到着。

並ぶ前に券購入。

150グラムのミニを。

前に7人並んでおり12:00に着席。

並んでいる間にコール。

全マシ。

着丼。

 

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野菜はクタクタ。

スープはしつこすぎず、あっさりすぎず。もう少しパンチあってもいいかも。

麺はワシワシで嬉しい。

豚が歯応えはあるが噛み切りにくい。

それに食べログのメニューの写真と違うのが残念。

鍋宮郎やってました。

 

以上。

映画〜二郎〜アトリエ〜銭湯

映画『さがす』。

伊東蒼さんが走るシーンから始まる。

しかもスーパーに向かって。

『告白』を思い出して、車に轢かれないか心配になった。

監督はポンジュノの下でやっていたとのことで、『母なる証明』『パラサイト』っぽい感じがたしかに。

プレモルがクーラーボックスから転がるシーンがなんとも言えなかった。

 

その後、腹ごしらえ。

二郎系が食べたくなり、テアトル新宿で見ていたので近くで探した。

新宿御苑の「ラーメンイエロー」を目指す。

着くもやっておらず。

二郎の口になっていたので、そこから近いところで探したら末広町の「ラーメン影武者」。

 

食券購入から渡すときにコール。

全マシで。

野菜はシャキシャキ。

豚は厚めで脂感強め。好きな感じ。

麺は細麺で、味はしつこくない。物足りなかった。

 

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その後、腹ごなしに歩く。

末広町秋葉原なので、上野を目指し中央通りを北上。

道には10メートルおきにメイド。

スルーで歩いているとテイストの違う人が。

耳を傾けると、絵画を販売しているので見ていったくださいとのこと。

プリントしたものを販売していた。

Johann Perathonerという1986年にパリに生まれた作家の作品をおすすめされた。

これも出会いと普段全く絵なんか買わないのに購入してみた。

 

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上野に近づくとサウナの「北欧」に行きたくなる。

静岡の「しきじ」より好き。

外気浴の所が気持ち良い。

人がいない時は椅子をお風呂の近くに持っていき、足はお風呂に浸かりながら外気浴。

ちなみに「しきじ」は、静岡のスナックのママが教えてくれたが、その昔ハッテン場だったらしい。

ということで、「北欧」には行けなかったので近くの銭湯に。

 

稲荷町の「寿湯」。

入浴料、サウナ料、貸しタオルで800円。

ボディソープとリンスインシャンプーは備え付け。

街の銭湯っぽいのにSuicaが使える。

脱衣場が2階にもある。

内風呂の温度がちょうど良かった。

水も良さそうな気が。

外風呂は広く、その日はメロン風呂だった。

サウナはドライと塩。

どちらも定員7,8人と狭め。

化粧水や乳液も備え付けで助かった。

 

以上。

西早稲田〜浅草〜吉原〜山谷〜浅草

浅草。

そこまで近い街ではないが数回は行ったことがあるのでなんとなくは知っていたつもりだ。

しかし昨日少しだけ浅草に寄った際、意外と知らない所もあるなと思い翌日の今日、再訪を決意。

 

まずは腹ごしらえと、二郎系が無性に食べたくなり、初めての「ピコピコポン」@西早稲田へ。

食券購入後に並ぶスタイル。

回転率は良い方。

コールはヤサイマシマシ、ニンニクアブラカラメ。

麺が少し細め。

スープはしつこくなく飽きない。

チャーシューは歯応えありで、厚いものの歯切れがいい。

野菜はくったり。

 

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完食後、蔵前駅へ、そこから徒歩で北上し田原町の方、まずは西浅草を散策。

飲食店がちらほらあり、名店臭のするお店もいくつか。

夜のお店の候補にいくつかピックアップ。

 

その後、国際通りを渡り、花やしき言問通りの間のあたりに。

焼肉屋の多さにどういうことなのだろうと。

戦後の闇市にルーツを持つコリアンタウンの街並みが残っていてのことだそう。

そんなことを思いながらふと、「吉原はここから近いのだろうかと」

調べると10分ほど北に行くとあるとのこと。

 

吉原弁財天、吉原神社、吉原大門跡、見返り柳と一通りを見て回った。

吉原は元々日本橋にあって、葦(よし)ばかり生えていた湿地を埋め立てて造られたそう。

なので葦原、縁起を担いで葦を吉にした。

明暦の大火で日本橋から今の場所に。ちなみに本所も候補にあったが交通の便を考えて却下に。

日本橋が旧吉原、今の所が新吉原。

大通りから唯一の出入り口の大門に行くまでの道はS字カーブになっている。

これは大通りから直接遊郭が見えないような配慮ということ。

S字カーブといって思い出すのは、白金の聖心女子大学とGINZA SIX。

聖心の門までがS字なのは奥行きを見せるため。

GINZA SIX内の通路がS字なのは先が見えないことで次に何があるのだろうと楽しませるため。

S字にも色々な思いがある。

吉原炎上で亡くなった遊女の想いが色々あるように。

ちなみに吉原には今もたくさんの店舗がある。

 

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一段落したところで浅草に戻ろうとも考えたが、

そういえば山谷に行ってみたいと思っていた、近くはないのだろうか。

調べるとこれまた10分ほど北東に進むとあるとのこと。

というのも西のドヤ街・西成には行ったことがあったので東も行ってみたいと。

ドヤ街のドヤは宿を逆さにしたもので、人が住むところではないと自嘲的に逆さまに読んだことに由来する。

実際に山谷に行ってみて本当に簡易宿泊所ばかりで真の意味でドヤ街だった、西成には飲食店もいくつかあったので。

 

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労働福祉センターではちょうど炊き出しを行っていた。

日雇い労働者のコロナ禍での補償はしっかりなされていたのだろうか、恐らく社会課題だろう。

山谷西成ともう一つ、神奈川県横浜市、みなとみらいのすぐ近くに寿町というドヤ街があり、三大ドヤ街と言われている。

この3つでいうと寿町が一番緊張感があった。

それ以上に緊張感があったのはマンハッタン島の北に位置するハーレム。

西はそうでもないが東に行くにつれ、私を見る現地の人間の目の鋭さを感じずにはいられなかった。

そういう意味では山谷は全くであった。

山谷という住所は現在はなく、泪橋という交差点のあたり一帯を指す。

泪橋の由来は、その昔、小塚原刑場という処刑場があり、罪人が牢からここに連れてこられる際に、この橋で駆けつけた家族と涙しながら最後の別れを惜しんだため、そう言われている。

ちなみに今はもう橋はなく、暗渠になっているということ。

あとは、あしたのジョーが有名みたいですが読んだことないので分からず。

 

そして浅草に戻り、夕食を。

候補がいくつもあったので気合いで2つ行くことに。

 

まず最初は、とんかつの「ゆたか」

ロースとエビフライを。

とんかつはふれこみ通り軽やか。

エビフライも美味しいが最初から切られてない方がいいかな。

食べログに、パセリ農家の人が今年は美味しくできたと言っているのを聞いて食べるようになったというコメントを見て感動し、自分も実践することにした。

なので写真のパセリは美味しく頂いた。

 

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続いて、どぜう鍋の「飯田屋」

なまず鍋が冬場のみということで気変わり。

その分、どぜうは蒲焼で。

どぜうは秋田、なまず利根川でとのこと。

身は柔らかく、皮が美味しかった。

 

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その後、浅草ROXまつり湯へ。

下足箱、受付、脱衣場と全体的に広めでゆったりが良い。

たまたまかもだがサウナも混みすぎず。

その他に飲食もできたりと寛げるが、土日3,000円ほどと少しお高め。

 

まん防で閉店したお店が並ぶ寂しげな街並みを横目に帰路。

 

以上。

saunaサンデッキ@高円寺

高円寺駅南口(どちらかというと閑散としている方)を出て左、環七の方に向かって5分程で到着。

 

ちなみに、環七以外にも環八が有名かと思いますが、一から六もあります。

一:内堀通りと日比谷通りの一部

二:外堀通りの大部分(有明から神田)

三:外苑東、言問、三ツ目通り

四:外苑西、不忍、明治通り(荒川から墨田)

五:明治通り(渋谷から荒川)

六:山手通り(品川から板橋)

一から六が有名じゃないのは上記の通りで他の呼び名が有名だからですね。

 

サンデッキに話を戻しますが、環七に面しており、2階が入口になります。

男性専用です。

下足箱の鍵を受け取り靴をしまってから受付。

40分が最短で、70分、2時間、4時間・・・という感じの時間設定。

金額は20分で1,200円ぐらいでした。

タオルと館内着付きで、歯ブラシとカミソリもくれます。

受付のおじさんの感じもよく良い感じ。

 

浴場、脱衣所、休憩所は3階に。

水風呂が2種類、冷たいのとやや冷たいの。

サウナはテレビ付きで2段、少し熱めだった気がします。

そのせいか1段目が人気でした。

当日のお客さんが熱いの苦手だったのかもしれませんが、質も良く、連れで来ている人たちでも黙浴してました。

 

本当は高円寺北口で一杯と考えていましたが、Netflixの望月衣塑子のドキュメンタリーが面白く、そっちに夢中になって帰りました。

 

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中国地方の旅(3日目)

ランドプリンスホテル広島の朝食。

 

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そして日の出。

 

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からの何気なく空を撮ったら雲と枯れ木が相まって桜みたいに。

 

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8:30に出発し、西に約1時間ほどで宮島へのフェリー乗り場に到着。

フェリーの運航は2社で行っており、一社はJR、もう一社は松大汽船というところ。

松大汽船の母体は広島電鉄で60%の株を有する。ちなみに残りの40%は松本家という地元豪族が所有。

一般市民にとって、その業種内に競合がいるというのは大事なことだ。

一社独占は危うい。iPhoneの価格が50万になったら世の中はどうなるか。シャブ漬けにならないように気を付けたい。

 

フェリー乗り場を出発し10分ほどで宮島に到着。

 

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宮島は日本三景の一つで瀬戸内海の担当。太平洋は松島、日本海天橋立が担当。

奈良のように自然の鹿がお出迎え。エサはあげてはいけないことになっている。なので奈良と違うのは寄ってこないこと。角切りがされているため安心。


地名として一般的に呼ぶ場合は「宮島」であるが、同義で「厳島」とも呼ばれる。

 

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「宮」とは神社を指すため、神社のある島、宮島、ということである。

その神社の呼称が厳島厳島神社

厳島の語源は、いくつかあるが、身を清めて神に仕えるの意味の「斎くしむ(いつくしむ)」という言葉から来ていたり、祀られている宗像三女神のうちの一人の市杵島姫(イチキシマヒメ)から来ていたりだ。

この宗像三女神だが、他にタゴリヒメ・タギツヒメからなり、スサノオの娘である。昨日行った出雲大社に祀られているオオクニヌシが一緒になったのもスサノオの娘である。

三女神のメインの御利益は交通安全であり、次いで漁業大漁や国家鎮護、開運や必勝祈願もある。ただ、女性の神様ということもあり、カップルで来ると嫉妬を買い別れるという急にチープな逸話もある。

ちなみにずっと宗像三女神が祀られていたわけではなく、平安時代には平清盛が再建した時には伊都岐島大明神が祀られていた。現在祀られている宗像三女神は鎌倉の頃からである。神社の創建自体は初の女性天皇推古天皇に遡る。


残念ながら鳥居は修復中で足場で完全に覆われていた。

 

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2年前から行われており、あと2年かかるとのこと。修復は70年ぶりだそう。

推古天皇の時代からあるなら仕方ないと思ったものの、実は大鳥居の部分は1875年にできたとのこと・・・

 

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厳島神社の他にも大聖院、千畳閣というところをまわった。

実はこの大聖院が厳島神社よりも面白かった。

 

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大聖院

明治天皇の行在所(アンザイショ)急場の一時的な皇居

・宮島で最古の歴史を持つ真言宗御室派大本山

弘法大師が806年に開基

・真っ暗な道を歩く観音堂戒壇巡り(中国観音霊場37か寺のお砂踏み巡りの道場)

 

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・摩尼車(マニシャ)回しながら階段を登ると、お経を唱えながら上っているのと同じになる

 

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・四国にある88ヶ所のお寺を参拝して歩くお遍路参り。総行程1,400Kmを1~2ヶ月という大変な日数をかけて歩いて回るのですが、このお遍路参りをしたのと同じぐらいのご利益があると言われている場所が、大師堂の石の下の洞窟の中にある「遍照窟」。

 

 

ちなみに千畳閣

豊臣秀吉将兵の慰霊のために建立

・しかし秀吉の死により工事が途中で中止され未完のまま

 

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以上。