中国地方の旅(2日目)
鳥取県のロイヤルホテル大山から、島根県にある足立美術館に向かう。
足立美術館は庭園が有名で、アメリカ人による日本庭園ランキングというお節介なランキングで2003年から18年連続1位を取っている。
道中、右手には中海という湖があり、地図上でいうとしじみで有名な宍道湖の右に位置する。
この湖の中央には大根島という島があるが、大根を作っているわけではない。
むしろ高麗人参という高価なものを作っている。
大根島と名付けることで眩ませて、高価な高麗人参を盗まれないようにしているとのこと。
そんな蘊蓄を聞きながら足立美術館に到着。
島根出身の実業家・足立全康のコレクションを展示している。
特に横山大観の作品が多く展示されている。
理由は全康が48歳の時に大観の作品に影響を受けたことにある。
展示物もさることながら前述の庭園は素晴らしい。
効果的に窓を設置して庭園を絵画のように見せている。
彼は東京芸大の初代校長。
ちなみにお墓は巣鴨の染井霊園にあり、この染井とは桜で有名なソメイヨシノのソメイ。
もっと話を逸らすと、財力があると映える庭を作りたくなるのだろうか。
今は東京都の持ち物だが、その前は三菱の岩崎家、その前は徳川5代将軍綱吉の側用人の柳沢吉保が所有していた。
和歌の発祥の和歌の浦、今の和歌山を完全再現した景観となっている。
全てを手にした岩崎も柳沢も、完璧な庭作りに文字通り命を懸けたそう。
足立全康もその一人である。
足立美術館の庭は、横山大観の作品をモチーフにしており、死ぬまで自ら手入れもしていたそう。
そもそも横山大観もどこぞの風景を描いていたのだろうから、リメイクのリメイク、逆輸入の逆輸入みたいな、一周まわって、の世界だ。
元の庭と足立美術館の庭、実際にはどれぐらい近しいのだろうか、と考えても仕方ないことを思いながら次の目的地の出雲大社へ。
古事記とは、ご存知の通り日本最古の国の成り立ちが記されている書物。
古すぎてリアリティは薄いが、旧約聖書みたいに知ると面白いと感じる。
あらすじはこう。
そもそも日本はイザナギとイザナミという存在がつくった。アダムとイヴ的な。
この二人の間には子供が生まれ、伊勢神宮に祀られているアマテラスや、スサノオがいる。
出雲大社に祀られているオオクニヌシはスサノオの子孫で81番目の末弟。
上の80人のお兄が因幡(いなば)のヤガミヒメを好きになり、みんなで求婚しにくことになった。どんなシチュエーション。
ちなみに、その前の出来事が因幡の白兎。
80人の兄は、皮を剥がれた白兎に海水を浴びて日に当たると良くなると嘘をつく。
それを実行し痛がる白兎に、オオクニヌシは優しく接したというお話。
話は戻り80人のお兄ちゃんたちは、ヤガミヒメに好きになられたオオクニヌシに怒って何度も殺害を図るが、オオクニヌシはその度に奇跡的に生き返る。
なぜだか、そろそろヤバいとなり地下の国、スサノオの所へ逃げる。
そこでスサノオの娘のスセリヒメと出会い、後に駆け落ち。
ヤガミヒメはー。
オオクニヌシはスサノオの子孫なので近親相姦的な展開だがそこは歴史。
スサノオからの色々な試練を乗り越えてパワーアップし地上に戻り、日本を発展させる。
それを見たアマテラスは、オオクニヌシが治めている所は元々イザナギとイザナミのものだからと返還命令。
返す条件として提示したのが、出雲大社を作ってほしいというもの。
アマテラスが目に見えるものを、オオクニヌシが目に見えないものを司るという流れにある。
古事記の国譲りのざっくりあらすじはこうだ。
出雲には毎年10月に全国の神様が集まるという話がある。
つまり各地で神が不在になる、だから10月は神無月。
逆に島根だけ神在月なんだそう。
いきなりだが島根はぜんざい発祥の地だそう。
神在、ジンザイ、ゼンザイ、理由としては弱いが無条件に受け入れてみる。
出雲大社の本殿は南向きである。
しかし祀られているオオクニヌシは西を向いているらしく、本殿の正面からの願いは左耳で聞いているという細かいディティール。
正面にも西側にも賽銭箱があり複雑な心境になるのはいけないことなのだろうかと自分を責める。
また面白いのは下り参道なこと。
上り参道が基本。例えば明治神宮なんかは明治通りからも山手通りからも上っている。
この下り参道には、国譲りという切ないストーリーとあいまって哀愁が漂う。
この後はワイナリーにいって広島お好み焼きを食べてグランドプリンスホテル広島に向かうという前の話に比べると近現代的過ぎるので割愛。
以上。
旧古河庭園〜六義園
こういう時は日常生活では行かないであろうエリアを探しがちである。
そういう時には、そのエリアの飲食店も探す。
今回は町中華の「百亀楼」に、と思ったら本日お休みとのこと。
急遽近くの町中華である「ますや」に。
調べると、上中里駅は都内でも1日あたりの乗降数がワースト2位で、その数は8,041人。ちなみにワースト1位は京葉線の越中島駅で、その数は5,910人と単独トップ。
上中里も越中島も、近くに西ヶ原や尾久、門前仲町や東京駅があるのが利用者数が少ない原因だろう。
反対に利用者数の多い1位は新宿駅で77万、次いで55万の池袋、46万の東京駅である。
話は脱線するが、1位は誰でも知っているが2位というのは意外と知られていない。
例えば、高い山でいうと「北岳3,193m」、長い川でいうと「利根川322km」、広い湖でいうと「霞ヶ浦168㎢」。1位を補足しておくと、富士山3,776m、信濃川367m、琵琶湖669㎢。2位の知名度は20%だ。2位じゃダメなんですか?ダメなんだ。
話は戻るが、そんな駅にある「ますや」。行ってみたらなんと満席。外で少し待っての入店。
ラーメン半チャーハンセットを頼んだ。ラーメンは海の家の醤油ラーメン、チャーハンはコショウ強めのパラパラ系だ。
食べ終わりいざ旧古河庭園へ。
秋バラの見頃ということで人で賑わっていた。
古河庭園の成り立ちをざっとさらうと、元々は陸奥宗光の持ち物だったが、次男が古河家の養子となり、古河家の持ち物に。
その古河家というと、古河財閥の古河さん。
古河財閥の主な企業は、古河機械金属、古河電工、富士通、横浜ゴム、朝日生命、みずほ銀行などが挙げられる。
ちなみに財閥というのは、1900年前後に使われ始めた造語。
三井三菱住友や安田を筆頭に、GHQの財閥解体の指令を受けた15大財閥に古河財閥も指定されている。旧古河庭園の所有者であった古河虎之助は麻布光林寺に埋葬されている。(家近い)
この財閥解体に伴い、庭園内の屋敷の所有が古河の取引先であった大谷米太郎にうつった。
この大谷米太郎は、30歳で富山から東京に。体躯の良さを生かして各界に入るも、巡業先で鉄鋼の魅力に取り憑かれ、経済界に。晩年まで活動し、ニューオータニの創設者。
この屋敷を美術館にすることを晩年に計画するも、実現を見ずして世を去った。
ちなみに、屋敷から近い庭園が洋式、もう一段下がったところにある庭園が和式と、斜面を活かした作りとなっている。
裏千家とは、茶道流派の一つ。裏があるということは表もある。共に千利休を祖とするが、表千家が本家、不審庵という茶室でそれを確立していった。その裏手にある今日庵で確立されていったのが裏千家。故にここで言う裏表は物理的なものである。
ちなみに違いは作法。
・お茶を点てる時に、表は薄茶で泡を立てない、裏は濃茶で泡立てる。
・表は侘び寂び伝統重視、裏は時代に合わせていく。
茶道の最大人口を誇るのは裏千家。
旧古河庭園を見る中で、20分も歩けば六義園があることを知り向かってみた。
途中に長寿庵。色んなところにある屋号、発祥を知りたくなる。
元禄時代に京橋五郎兵衛町に「三河屋惣七」が創業以来、栗田作次郎、村奈嘉与吉を中心に順次のれんわけが行われ「采女会」「四之橋会」「十日会」「実成会」の4会派が生まれ、一時は関東一円に340店舗を数えるほどであった。
昭和25年に「長睦会」から「長寿会」と改名し、平成14年に法人組織化し「長寿庵協同組合」となり「長寿庵」の屋号は現在登録商標となっている。
「長寿庵」という屋号は登録商標として管理されているが、同じ「長寿庵」という暖簾を掲げながらチェーン店などではなく、それぞれが独立し、規模も、商売のやり方、営業形態、メニューも統一せず営業している。
「それぞれの地域にあった形、地域密着の蕎麦屋を目指す」というコンセプトである。
とはいえ誰もが長寿庵の暖簾を掲げられるわけではなく、どの会派とも長寿庵で修業しそこの店主から認められなければのれん分けは許されない。
蕎麦御三家なるものがあるらしい。更科、薮、砂場。
更科は蕎麦のみの芯のみを使うので比較的白い、藪はつゆ辛めでちょっとしかつけない、砂場はonly from大阪。
六義園到着。
六義園の成り立ちは、1702年に遡る。五代将軍綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が和歌の趣味を基調として造った。なので、和歌山の和歌の浦をイメージした造りとなっている。
その後、岩崎彌太郎の別邸となった。岩崎は船を当てた後、造園に力を入れた。
入口に古地図あり。1693年と1860年のもの。比較して区画が変わらないベスト3は、皇居と紀伊藩と尾張藩の土地。紀伊は赤坂御所と迎賓館、尾張は防衛省になっている。あとは内藤家の新宿御苑。
染井とは巣鴨・駒込の地名。江戸時代から植木屋が多く、ソメイヨシノはここが発祥。
ちなみに染井霊園には幣原喜重郎、岩崎彌太郎、岡倉天心、高村光雲らの墓がある。
以上。