西早稲田〜浅草〜吉原〜山谷〜浅草
浅草。
そこまで近い街ではないが数回は行ったことがあるのでなんとなくは知っていたつもりだ。
しかし昨日少しだけ浅草に寄った際、意外と知らない所もあるなと思い翌日の今日、再訪を決意。
まずは腹ごしらえと、二郎系が無性に食べたくなり、初めての「ピコピコポン」@西早稲田へ。
食券購入後に並ぶスタイル。
回転率は良い方。
コールはヤサイマシマシ、ニンニクアブラカラメ。
麺が少し細め。
スープはしつこくなく飽きない。
チャーシューは歯応えありで、厚いものの歯切れがいい。
野菜はくったり。
完食後、蔵前駅へ、そこから徒歩で北上し田原町の方、まずは西浅草を散策。
飲食店がちらほらあり、名店臭のするお店もいくつか。
夜のお店の候補にいくつかピックアップ。
焼肉屋の多さにどういうことなのだろうと。
戦後の闇市にルーツを持つコリアンタウンの街並みが残っていてのことだそう。
そんなことを思いながらふと、「吉原はここから近いのだろうかと」
調べると10分ほど北に行くとあるとのこと。
吉原弁財天、吉原神社、吉原大門跡、見返り柳と一通りを見て回った。
吉原は元々日本橋にあって、葦(よし)ばかり生えていた湿地を埋め立てて造られたそう。
なので葦原、縁起を担いで葦を吉にした。
明暦の大火で日本橋から今の場所に。ちなみに本所も候補にあったが交通の便を考えて却下に。
日本橋が旧吉原、今の所が新吉原。
大通りから唯一の出入り口の大門に行くまでの道はS字カーブになっている。
これは大通りから直接遊郭が見えないような配慮ということ。
S字カーブといって思い出すのは、白金の聖心女子大学とGINZA SIX。
聖心の門までがS字なのは奥行きを見せるため。
GINZA SIX内の通路がS字なのは先が見えないことで次に何があるのだろうと楽しませるため。
S字にも色々な思いがある。
吉原炎上で亡くなった遊女の想いが色々あるように。
ちなみに吉原には今もたくさんの店舗がある。
一段落したところで浅草に戻ろうとも考えたが、
そういえば山谷に行ってみたいと思っていた、近くはないのだろうか。
調べるとこれまた10分ほど北東に進むとあるとのこと。
というのも西のドヤ街・西成には行ったことがあったので東も行ってみたいと。
ドヤ街のドヤは宿を逆さにしたもので、人が住むところではないと自嘲的に逆さまに読んだことに由来する。
実際に山谷に行ってみて本当に簡易宿泊所ばかりで真の意味でドヤ街だった、西成には飲食店もいくつかあったので。
労働福祉センターではちょうど炊き出しを行っていた。
日雇い労働者のコロナ禍での補償はしっかりなされていたのだろうか、恐らく社会課題だろう。
山谷西成ともう一つ、神奈川県横浜市、みなとみらいのすぐ近くに寿町というドヤ街があり、三大ドヤ街と言われている。
この3つでいうと寿町が一番緊張感があった。
それ以上に緊張感があったのはマンハッタン島の北に位置するハーレム。
西はそうでもないが東に行くにつれ、私を見る現地の人間の目の鋭さを感じずにはいられなかった。
そういう意味では山谷は全くであった。
山谷という住所は現在はなく、泪橋という交差点のあたり一帯を指す。
泪橋の由来は、その昔、小塚原刑場という処刑場があり、罪人が牢からここに連れてこられる際に、この橋で駆けつけた家族と涙しながら最後の別れを惜しんだため、そう言われている。
ちなみに今はもう橋はなく、暗渠になっているということ。
あとは、あしたのジョーが有名みたいですが読んだことないので分からず。
そして浅草に戻り、夕食を。
候補がいくつもあったので気合いで2つ行くことに。
まず最初は、とんかつの「ゆたか」
ロースとエビフライを。
とんかつはふれこみ通り軽やか。
エビフライも美味しいが最初から切られてない方がいいかな。
食べログに、パセリ農家の人が今年は美味しくできたと言っているのを聞いて食べるようになったというコメントを見て感動し、自分も実践することにした。
なので写真のパセリは美味しく頂いた。
続いて、どぜう鍋の「飯田屋」
なまず鍋が冬場のみということで気変わり。
その分、どぜうは蒲焼で。
身は柔らかく、皮が美味しかった。
その後、浅草ROXまつり湯へ。
下足箱、受付、脱衣場と全体的に広めでゆったりが良い。
たまたまかもだがサウナも混みすぎず。
その他に飲食もできたりと寛げるが、土日3,000円ほどと少しお高め。
まん防で閉店したお店が並ぶ寂しげな街並みを横目に帰路。
以上。